教訓3

調子に乗っていた私は 社会勉強という名目でホストで働く決意をする。


(実際は ホストの方が稼げるんじゃないか?って事なんだが)


そこで街中にある紹介のホストに行ってみた。


そこはホストというよりもボーイズクラブで、やってる事はホストのワンランク下


のホストっぽい仕事をしてるって店だった。


それでも繁盛してるのか、系列店合わせ5店はあった。


仕事内容は自分でナンパ→店に連れてくる→売り上げの%貰う。


それか来店で指名される→売り上げの%貰う。


来店した客は1時間3千円で、延長するか帰るかの時間制であり、ハウスボトル(テーブル


に置いてあるブランデー)は飲み放題とカラオケは歌い放題になっていた。シャンパンや


ビール、その他のドリンクや指名料は別料金のシステムになり


ホストは月計算で支給。一ヶ月100万円売り上げ超えて初めて22%貰えるといった計算


で、100万以下は時給750円で雑用やゴミ扱いで過酷なものだった。


私が入店した時に もう一人一緒に入店した子がいた。


その子は角刈りのような短髪で、紺のリクルートスーツに地味なネクタイ。


水商売は初めてで 興味があったのも理由の一つなんだが、もてたいのと酒が強いって理


由で来ていた。それでも真面目そうな雰囲気としっかりした感じはあった。


私は対照的に水色のダブルのスーツ(当時流行っていた)に中はTシャツとネックレス。


髪は白に近い金髪で、毛先を水色に染めていた。


実は、この店を舐めていたわけじゃなく、私なりに考えてバリバリの経験者ですを演出し


たつもりなのだが、前日気合入れすぎて 元々の金髪にハイブリーチと緑のヘアマネキュ


アを入れた。そしたら緑が薄くなぜか鮮やかな水色になった。


そこまで気合入れなくても紹介と経験者って理由だけでスムーズにOKが出た。


それどころか気に入ってもらえたらしく、私と その子との扱いは格段に違った。


二人とも明日から来てくださいとの事でその日は終わったのだが、私だけ残された。


そして店が始まる頃、軽い自己紹介させられ 「雰囲気に慣れるといいよ」と私はカウン


ターの中に入れさせられた。


店が始まると大音量の音楽。ミラーボールにストロボ。ブラックライトにホスト達の


香水の匂い。


圧倒されたのもあるが、これが私の一歩なんだという思いと初めて見る競争世界。


戒めるように見ていた。


気合の入った私は、次の日 この店初の客と同伴出勤で初日を出勤した。

教訓(補足2)

その当時はまだ バブルの名残も多少あり、客の金の使い方は派手な人も多かった。


私がいたスナックではブランデーはヘネシー。ウイスキーはリザーブ。時々ジョニー


ウォーカーの赤(ジョニ赤やジョニ黒って呼んでいた)やフォアローゼス等が出ていた。


今みたいに居酒屋以外では焼酎を飲む人もいないし、焼酎を置いてても出なかった。


居酒屋とスナック、クラブやパブ、バー等 ちゃんと飲み分けをして呑んでいたのは


呑み方をバブル世代から教えられていたのかもしれない。


格好付ける店や、呑む時の楽しみ方、暗黙のルールでのバーの飲み方。スタッフへの気遣


いは昔のほうが上手だった気がする。


もちろん、スタッフ側(ボーイやホステス)経営してるママやマスターも同じで


接客やお酒の知識、目配り気配り心配り を昔の方がちゃんとしていた。


それが時代であり、良いのか悪いのかは別として 私は昔の呑み方が好きだ。


客側も店側もその なんとなく っていうのが大人の世界って感じがしたからだ。


ひとつ不思議なものといえば、当時スナック等の肩書の垣根っていうのが曖昧で、


ラウンジ、スタンド、パブ、スナック、クラブ、ホスト、ボーイズバー・・。


どこからがどうって云うのが曖昧だった記憶がある。


私の記憶では(違うかもしれない)が、立って呑むスナックがスタンド。


女の子が数人いて、安っぽい店から順にパブ→ラウンジ→クラブ。


男も同じで安っぽい店からボーイズバー→ホスト。


そんなイメージなんだが、その基準や垣根っていうのが未だにわからない。


その頃、そこまで気にはならなかったが。


 私のいた店では19時開店で、店には17時に入って準備をする。


氷のカチ割り、店内掃除(どこの店もトイレと玄関は徹底的にキレイにしてた)


ボックスや鏡を拭く(ボックスはカウンターじゃない座るテーブル席の事)


最初のセット(座ったら座席代として勝手に出てくる一品)の小料理の準備。


カラオケの音響確認やボトル拭きと、補充。


これはどれも大事で グラスを拭くことでタンブラーの役割を覚える。


ビールのグラスはビアタン。水割りはハッタン、シャンパングラスにワイングラス


って具合に覚えていくし、音響確認しながらカラオケ曲や番号(当時は盤だから)


それにボトル拭く事で客の名前や残量、その客が来たらスムーズに出せるメリット


マドラーの混ぜ方や、氷の入れ具合マッチの付け方(ライターも同じ)までこの時に


色々教えてもらえる機会にもなっていた。


どんな小さなスナックでもママやマスターっていうのはプライドが高く、


その辺りが店の個性に繋がり どの店もおもしろかった。


 今ではお客様重視のお店が多いが、当時は入り口に謎の会員制の札があって


一見さん(いちげんさんと言って初めての客)お断りも多かった。


店には合わないと店側が客を追い返すのも当たり前のようにあった。

教訓(補足)

今は知らないが、当時の風俗嬢は出来高制だった。少なくとも私のまわりはそうだった。


夕方、彼女が支度をし出勤して朝方1時頃に帰る。


その時はいくら稼ぐのかは知らなかったし、彼女の仕事を話題で触れるのもタブーの


ような感じだった。ただ日銭で稼いできては私の財布に数万円を毎日入れてくれた。


その他、まだ私は15歳というのもあったからか、何も知らない私に この風俗嬢が大人の


イロハを教えてくれた。


そんな遊びなれた22歳の風俗嬢の彼女は全てが新鮮に見え 大人の魅力が何倍にも感じ


た。



彼女の店仲間とも よく店が終わると 飯や飲みにも行った。その友達の彼氏も合流し


一緒に飲んだり遊んだ。ただ、この彼氏もヒモに近い人で 支払いは彼女達が払うのが


日常であり当たり前だった。


ヒモ仲間になるのかな?彼氏と私は気が合い、彼女抜きでも付き合うようになったのだが


もちろん私よりも歳上の人で8歳程離れていたせいか、弟のように可愛がってくれた。


ヒモはヒモでも そのヒモさんはBARを経営して 客のいないBARだったがセンスは良く


とてもオシャレで 青と白をベースにした満席25人程の店で これまたヒモさんが


格好良く見えた。


時間があるといつも一緒にいるようになったのだが、一つ欠点があった。


気が短い。


いくつもの店が出禁であったり、止まらないタクシーに飲んでた缶ジュース投げつけたり


ガラ悪い人見つけては喧嘩売る。


それでも自分の女と私には絶対に手をあげないし、怒らなかった。


それでも、私はそんな生き方や考え方が私のお手本になり、染まっていく自分がいた。



そして そのヒモさんは、自分のBARが暇だからと 私のいる店を手伝ってくれることに


なった。